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PanAm & Aloha Airlines 1964/04 LOCAL TIME TABLE
1964(昭39)年4月
PAN AMERICAN AIRWAYS & ALOHA AIRLINES
(米)
230mm×103mm 6つ折
ハワイが正夢に−海外観光旅行の自由化

オリンピック・イヤーに世界へ飛び出した日本人
 1964年(昭39)4月1日−この日は日本の戦後旅行界にとって最大の転機が訪れた日として記憶されています。それまで、仕事や研究・留学といった目的でしか海外へ出ることが出来なかった日本人に、観光渡航が許されるようになりました。
 これを受け、日本離れした熱帯的風物と、親しみやすいアメリカ文化を備えた点で、日本人にとって最も身近な外国ともいわれるハワイへの旅行が真っ先に実施されたのは当然のことと言えます。4月8日には、羽田からパンナム機で、ハワイへの団体観光客第一陣が出発して行きました。
 これはちょうどその頃、パンナムとハワイのアロハ航空両社が一体で発行していた時刻表。当時は団体旅行が主流であったため、個人で時刻表を参照して旅行日程を立てる人は少なかったと思われますが、この時刻表の向こうには、羽田出発前のパンナム機や、現地でアロハ航空機をバックに記念写真に収まる日本人観光客の姿が見えるような気が気がしないでしょうか?

 ハワイ旅行への期待は海外観光旅行自由化の3年前に遡ります。洋酒メーカーのサントリーが『トリスを飲んでHAWAIIへ行こう』キャンペーンを実施。当時はまだ実際にハワイ旅行に行けなったため、旅行資金とするための預金証書が賞品であったといいます。
 海外旅行自由化後、1970年頃を境に日本人の海外渡航者は急上昇を辿りました。団体旅行の代名詞「ジャルパック」とともに、「パンナム」は日本人にとって海外旅行を象徴する言葉として、多くの人々の郷愁の中に息づいています。


アジアからハワイ方面のパンナム機の時刻。(細字が午前、太字が午後を表す)
当時、東京からは、世界一周便である2便が、毎晩9時45分にホノルル経由サンフランシスコへ出発していました。




ハワイの各島を結ぶアロハ航空の時刻表。
最上段に見える「V」「F」は機種略号で、「V」はバイカウント745、「F」はフェアチャイルド・F-27を表します。
当時、ハワイ内路線にジェット機はまだ就航しておらず、アロハ航空・ハワイアン航空ともプロペラ機による運航でした。
それでも、アロハ航空は時刻表に『全便ロールスロイス・ジェットプロップ機にて運航』と注記。
コンベア340等の旧式機を使用していたハワイアン航空に対する優位性をアピールしていました。
関連項目

ホノルル発・車窓に広がる太平洋(オアフ鉄道、1921年)
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