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別府行き客船航路の戦後黄金時代 新造観光船就航 新幹線や航空便が限られた存在だった1960年代、戦前からの伝統ある別府航路は、戦後の全盛期を迎えていました。当時は車は載せず、旅客だけの「客船」航路でした。 1960年(昭35)、新造船「むらさき丸」「くれない丸」(画像参照)の就航により、夜行便だけだった別府航路に昼間便が開設されました。この昼間便は「観光便」と呼ばれ、このパンフレットに掲載されている時刻表からは、阪神・別府間と阪神・高松間にそれぞれ1往復ずつが運航開始されたことが分かります。 瀬戸内海の風光を楽しみながら目的地に着ける別府航路は、当時の人気新婚旅行先が九州だったこともあり、好評を博しました。船内図には、2人部屋の1等船室がずらりと並んでいました。 観光便は、大阪発7時20分・別府着21時20分で所要14時間でした。なお、当時の国鉄のディーゼル特急「かもめ」に乗ると、大阪発8時35分・別府着18時29分ですから、鉄道と比べてもそれほど遜色のない所要時間です。 |
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1962(昭37)年2月 184mm×127mm 四つ折 |
バーや映写室など、当時としては豪華な設備の数々が紹介されています。 昼間の航海であったため、瀬戸内海航路図には、名所の通過予定時刻も記載。 |
最後の光芒 その後も新造船の建造は続き、「すみれ丸」「こはく丸」「あいぼり丸」「こばると丸」が揃った昭和40年代前半は、別府航路が純粋な客船航路であった最後の時代となりました。当時は高速道路の開通など、次第に自動車交通が一般化していったこともあり、以降はカーフェリーが主体となっていきます。 関西汽船では、1971年(昭46)に別府航路初のカーフェリー・「ゆふ」「まや」が就航。それまで辛うじて残っていた戦前からのベテラン客船も引退し、新たな時代に入りました。 カーフェリー時代に入ってからも、別府航路では純客船の運航が続いていましたが、これも1992年(平4)に「あいぼり丸」引退により消滅し、過去のものとなりました。 |
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1970(昭45)年7月 124mm×68mm 六つ折 |
カーフェリー就航前、古き時代の最後を飾る時刻表。 「むらさき丸」「くれない丸」に続く新造船の増備で、観光便が増加。 一方、夜行の普通便には戦前の古豪が最後の活躍をしていました。 時期柄、「海水浴船」や「万国博専用便」が見える、楽しい紙面です。 |
1971(昭46)年9月 98mm×65mm 52頁 部内事務向けの時刻表。 就航船一覧や各種運賃も詳述。 |
「ふたば丸」「わかば丸」2隻の専用船による、修学旅行便もありました。 |
関連項目 瀬戸内海を往来した近海航路の客船たち(大阪商船、1937年) |
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