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貨物列車時刻表 1952(昭27)年1月 日本国有鉄道 (名古屋地方営業事務所) 182mm×257mm 40頁 |
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鉄道が貨物輸送の主役だった 高度成長時代の物流を支えて 黒い貨車が何両も尽きることなく連結された貨物列車・広大な操車場にひしめく様々な行先の貨車−これらはかつて日本の物流シーンに欠かせない風景でした。運輸白書によると、1955年(昭30)の国内貨物輸送分担率(輸送トンキロでの比較)のうち、国鉄は半分を占めており、自動車はわずかに10%でした。(但し、輸送トン数では自動車が68%で圧倒的に多い) この時刻表には、中京地区から全国各地への貨物の継送スケジュールが記載されています。当時は全国津々浦々の駅で貨物の取扱いあったため、時刻表にもあらゆる支線との連絡が書かれていました。ちなみに、活況を呈しているように見えた当時の貨物輸送は、『とにかく量をこなさなければならない貨物輸送が旧態依然のまま奮闘していた姿にほかならなかった』(「かくて、われらが日々−昭和30年代 首都圏の鉄道」 赤門鉄路クラブ編)というのが実態であったようです。 なお、当時の輸送の特徴として「ヤード輸送方式」というものがありました。これは行先がまちまちな各地からの貨車を順次連結していき、ヤード(操車場)でこれらを方面別にかためて編成を組みなおし、再び目的地へ向けて走らせていくことを繰り返すものです。各地には大きな操車場があり、行先別仕分けで活況を呈していました。 しかし、ヤード輸送方式は非効率的であったため、1984年(昭59)に「拠点間直行方式」に変更されました。拠点間直行方式とは、地域毎に拠点を設定してそこに貨車を集め、同じ方面の行先の貨車は出発地の拠点と目的地に近い拠点の間を高速の貨物列車で直行輸送することで、速度と効率性を改善するものです。今日ではさらに積荷別の専門化が進み、貨物列車は大きく姿を変えました。 |
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中京の中心的な貨物操車場であった稲沢から首都圏への時刻表。 東海道線に接続する各支線から貨車が集まり、首都圏の各目的地へ分散していくルートがわかります。 横浜港や秋葉原など、現在ではすでに消えた駅・貨物扱いをやめた駅もみられます。 |
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関連項目 「宅扱」が目指した鉄道貨物輸送のサービス向上(鉄道省、1937年) |
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