「時刻表歴史館」ホーム > 繁栄の時代 > カナダ太平洋航空 BOAC-英国海外航空(1966)
ジェット時代の試練−連続航空事故

 昭和41年早春は、日本で航空事故が相次ぎました。2月4日には東京湾に全日空機が墜落し、133人全員死亡。その惨事の記憶がさめやらぬ丁度一ヶ月後、今度は外国航空機が2日連続で大事故を起こしました。

日本で最初の外国定期民間機の事故
 1966年(昭41)3月4日午後8時過ぎ、濃霧の羽田空港で、カナダ太平洋航空のDC-8型ジェット機が着陸失敗。乗員乗客中の64名が犠牲となりました。上段は、丁度当時の時刻表です。
 事故を起こした便は長い上空待機の後、わずかな天候回復をついての着陸で遭難しました。しかし、ボイスレコーダーが無かっただけに、操縦室で何が起こったのかは不明のまま残りました。

わずか18時間後の惨事
 「事故は連続する。」−しばしば恐れとともに語られ、また実際にそうした傾向があることが否定できない格言です。しかし、1966年(昭41)春ほどの出来事は前例がなかったに違いありません。
 カナダ太平洋機の羽田空港着陸失敗事故から一夜明けた3月5日午後、今度は羽田発香港行きの、124人搭乗のBOAC(英国海外航空)機が富士山麓に墜落。快晴の日中に白煙を噴いて落下する機体は写真にも撮影され、先進国に比肩しつつあった日本、しかもその象徴ともいえる東京や富士山での、現代文明の連続破綻は世界に衝撃を与えました。

航空機をも破壊する自然の力
 直接の原因は、山越えの季節風で生じた強烈な乱気流による空中分解と断定されました。しかし、通常の飛行ルートからは外れている富士山に、危険な高度で接近した理由は解明されませんでした。一説には、多数搭乗していた外国人観光客のための「観光飛行」であったとも言われています。

 下段の時刻表は、1月から3月まで有効の、事故当時のものです。BOACは当時全便がジェット機での運航となり、世界中に路線を広げていました。しかし、時や場所や先進性にかかわらず、事故は我々の隣り合わせにあるということを、これらの事故は教訓として我々に語りかけ、それが今日の安全性向上につながっているとも言えます。
Canadian Pacific Airlines 1965/12

1965(昭40)年12月
229mm×95mm 23頁


事故が発生したのは、香港15:00発・東京19:25着の402便でした。
boac 1966/01

1966(昭41)年1月
240mm×102mm 31頁


事故機は、右から2行目のロンドン発香港行きBA911便。
東京に金曜17時過ぎに到着の予定でしたが、濃霧のため福岡へ代替着陸。
翌3月5日土曜、東京へ飛び、約2時間遅れで香港へ出発しました。
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