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ハイキング手帳 1961(昭36)年春 京浜急行電鉄 174mm×74mm 42頁 |
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休日はハイキング特急に揺られて 東武や小田急は、それぞれ日光や箱根といった有名観光地への足として、多少高級なムード漂わせ、車両や列車の設定にもそうしたイメージが反映されている感がありますが、三浦半島を控える京浜急行は、ハイキング客輸送という、より庶民的な面で活躍をしています。 休日朝の品川から9本が続々と発車 昭和20年代後半から京浜急行は、品川と三浦半島を結ぶ行楽臨時列車「ハイキング特急」を大増発し、手近な野山を楽しむ人々に親しまれました。座席や乗車列車が指定されたため、各列車には沿線にちなんだ愛称が付いていました。 この冊子は列車とハイキングコースの案内ですが、それによると、到着地ではハイキング特急に接続するバスが運転され、三崎や油壺を周遊し、夕方の上りハイキング特急で品川に帰着するコースとなっています。しかし、道路混雑でバスが定時に運行できず、帰り列車との接続が難しくなる事態も発生するようになり、昭和40年台初頭にはこうしたハイキング輸送は中止されてしまいました。 表紙には、前年(昭35)に架けられた「城ヶ島大橋」が描かれています。架橋当時、その構造の橋としては東洋一と言われ、話題になりました。 |
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京浜急行の臨時特急には数々の愛称がつけられ、先頭にはヘッドマークが掲げられていました。 週末特急「ラ メール号」(フランス語で「海」)と「パルラータ号」(イタリア語で「甘い語らい」)は、その代表でした。 こうした愛称が消えて30年以上になりますが、当時を知る人にとっては、大変懐かしいものではないでしょうか? |
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