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沖縄県概観 1938(昭13)年3月 沖縄県 108mm×208mm 26頁 (時刻表は1枚) |
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戦火に消えた幻の軽便鉄道 日本列島最南端の鉄道 沖縄は、近年になってモノレールが開通するまでは日本で唯一、鉄道の無い県として知られていましたが、戦前に県営の軽便鉄道が走っていたことをご存知の方も、今日では少なくないと思います。しかし、その終焉は沖縄戦の悲劇とそれに続くアメリカによる占領統治という、時代の大きな割れ目に飲み込まれるかのようなものであったため、往年の姿を今に伝える資料や痕跡は非常に少ないのが事実です。 ここに紹介するのは、戦前に沖縄県が発行した一般向け統計集です。県の発行であるため、末尾にこの幻の鉄道の時刻表が掲載されています。(沖縄県営鉄道の時刻は、当時のJTBの時刻表にも掲載されていましたが、これは沖縄県で発行されたオリジナルの資料という意味で貴重です) 当時最大級の軽便 沖縄県営鉄道(県鉄)は、1914年(大3)に那覇−与那原間で営業を開始しました。その後、北は嘉手納や南は糸満へも路線を広げました。小振りな機関車が数量の客車を引いてトコトコと走っていたほか、昭和に入るとガソリンカーも投入され、列車本数が倍増しています。 鉄道は島民の足だけではなく農産品の輸送にも使われ、3路線のターミナルである那覇駅からは、那覇港に向けて貨物の引込み線も設けられていました。 1944年(昭19)の那覇空襲は、県鉄に大きな被害を与えました。それでも何とか再起をしたものの長くは続かず、翌年の沖縄戦で施設は破壊され、復活することなくその生涯を終えました。 |
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那覇から嘉手納間は、汽車で約1時間20分・ガソリンカーで約1時間かかりました。 距離は23.6キロなので、そのゆっくりとした走りが伺えます。(といっても、今日の路線バス並みなので良しとする?) |
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戦後、米兵が撮影したスナップ写真より。「destroyed Jap railway Okinawa」と裏書があります。【筆者所蔵】 機関庫のような様子から、おそらく那覇駅と推定されます。横転した機関車が戦火の凄まじさを物語る一枚です。 |
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