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Tokyo Bay Steamship 1937/03

1937(昭12)年3月
153mm×77mm 六つ折
Tokyo Bay Steamship 1937/3

1937(昭12)年3月
150mm×87mm 三つ折
人気の観光地・大島へ流線型「橘丸」で

レジャー客を意識した豪華客船
 三原山の砂漠・咲き誇る椿・アンコとして知られる女性の独特の風俗・・・東京から遠くないのに、エキゾチックな雰囲気を味わえる観光地として昭和戦前期に人気があったのが、伊豆大島です。
 当時から伊豆諸島への交通は、現在の東海汽船(当時は東京湾汽船)の独壇場であり、同社は観光客を意識した客船を次々と就航させてきました。その集大成ともいえるのが、1935年(昭10)にデビューした「橘丸」です。「橘丸」は、上の時間表表紙にも見られるとおり、操舵室の後方が曲線を描く流線型のデザインとなっており、見るからにモダンで洗練された外観が特徴的でした。船内には「あやめの間」「橘の間」など、グループ向けの個室もあり、人気を博しました。
 時刻表によると、東京を夜10時に出港した夜行便は、大島に午前4時到着。一時間停泊ののち、下田に7時到着というスケジュールでした。(復路は東京へ夜7時半着)

航路連絡急行列車も登場
 「橘丸」とは別に、当時宣伝された大島へのもうひとつの道は、京浜電鉄・湘南電鉄(いずも今日の京浜急行電鉄の前身)で浦賀へ出て、そこから東京湾汽船に乗り継ぐというものです。上右はその乗り継ぎルートの案内パンフレット。品川から浦賀までは、大島遊覧客の便を図った急行「大島号」が1935年(昭10)より運転され、鉄道運賃と船賃がセットになった、連絡乗車船券も発売されていました。

 戦時になると観光が下火になり、「橘丸」は軍に徴用されて戦火をくぐりました。しかし、幸いにも戦争を生き抜くことができ、戦後再び大島航路に復帰。1973年(昭48)まで就航し、島ブームで再び脚光を浴びた大島観光を支えました。


「大島日帰り遊覧案内の内部。浦賀で大島行き航路に接続した「大島号」の写真と時刻が掲載されています。
「大島号」は、品川7時発・浦賀8時17分着。航路に乗り継ぎ、大島には11時50分に到着できました。
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