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豪華観光艇「水都」 1937(昭12)? 大阪市 195mm×90mm 四つ折 |
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水の都の観光は水上から ウオーターフロント観光の先駆け 戦後の高度成長とともに、都市の中に数多く存在した掘割や川が埋め立てで消えていった時代を経て、こうした「水辺」は「ウオーターフロント」と横文字に姿を変え、再び我々の関心の的となっています。最近では、都市を流れる川を観光資源として、また、混雑する陸上交通の補完として活用しようという動きもありますが、そんな試みの先駆として、古くは戦前、大阪で水上観光艇が運航されたことがありました。 1936年(昭11)6月にデビューした観光艇は、その名も「水都」。定員40名で、船内は豪華なソファー並ぶサロン風。後部には小さなオープンデッキも備えていました。 これは当時のパンフレットで、毎日午前9時と12時の2便が就航。約2時間をかけて、土佐掘川・堂島川から大阪港を経て木津川をまわるコースが運航されていました。淀屋橋に帰着後は市営観光バスと接続。大阪城や四天王寺を巡り、まさに大阪市内を水陸から立体的に観光できると好評だったようです。 『しかし観光艇は毎日スムースに運航出来なかった。地盤沈下で満潮時近くになると橋をくぐれなくなる。』(赤松文『薄命だった観光艇「水都」』−大阪春秋19号所収)というエピソードも残っています。その後「水都」は戦時体制の進展とともに観光という使命を全うできなくなり、空襲で焼失して10年に満たない生涯を終えたようです。 それから40年後、大阪の川には大阪水上バス「アクアライナーなにわ」が就航。橋をくぐる際に天井を下げるという最新機構を備え、今日でも大阪の顔として活躍しています。 |
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