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FERRY RATES and SCHEDULE 1966(昭41)年10月 Central Railroad Company of New Jersey 179mm×83mm 二つ折 |
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変わりゆく大都会の陰に消えた鉄道連絡船 ニューヨークの渡し舟 鉄道輸送の全盛時代、ニューヨークへは多くの鉄道会社が路線を伸ばしました。しかし、その中心部は、深く入り込んだ湾と「マンハッタン島」を中心とした島であり、線路を直接引き込んで連絡するのには困難が伴いました。こうした理由で、ニューヨークの周辺に到着した旅客や貨物は、連絡船や貨車航送用はしけに積み替えられて、目的地への移動を続けなければなりませんでした。 これは、ニュージャージー・セントラル鉄道(CNJ)が運航していた、旅客および自動車用のフェリーの時刻表です。前後に操舵室と出入口を備え、方向転換の不要な独特の形態をしたフェリーが、ハドソン川の両岸をピストン運航していました。(表紙写真参照) 膨張する都市に呑み込まれて しかし、20世紀に入ると、マンハッタンには地下鉄や道路のトンネルや橋が次々と伸び、連絡船の意義は次第に薄くなっていきました。ここに紹介したものや、その他の鉄道会社が運航する連絡船も1967年(昭42)までに運航を止め、渡し舟からの大都会の展望は歴史の中のひとコマとなりました。 都市化は止まるところを知らず、このCNJの連絡船が発着したマンハッタン側のターミナルの真向かいには、運航停止の直後、あの世界貿易センタービルがオープンしました。 一旦は消えたハドソン川の連絡船ですが、道路渋滞やラッシュの混雑といった問題が高まると、新会社によって1986年(昭61)にリニューアル復活しました。そして迎えた2001年9月11日−NYが緊急事態に襲われ、かつて連絡船を廃止に導いたトンネルや橋が機能を制限されたとき、再び脚光を浴びたのは皮肉にも水上交通でした。 |
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CNJのフェリーは、ジャージー・シティと、ロワー・マンハッタンのリバティー・ストリートを結んでいました。上左の地図の中央が鉄道のターミナルで、そこから出るフェリーのルートが点線で示されています。目的地のリバティー・ストリートは、世界貿易センタービルに接する南側の道路にあたります。 右は平日の運航予定表。早朝から深夜まで頻発していました。かつては24時間運航だったようですが、この頃には深夜の運航を止めたのでしょうか? |
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