華やかな日本の玄関口 左は、日本郵船が乗客や送迎客向けに配布していた、横浜港の岸壁への道順案内。(一緒にあった資料から判断して、大正時代末頃のもの?) 横浜港は当初、左に見える桟橋からスタートしましたが、明治から大正にかけて、右にみえる新港埠頭が完成し、取り扱い能力は著しく向上しました。 特に、新港埠頭の先端の第4岸壁は、北米方面への船が発着した由緒ある場所です。鉄道の臨港線が引き込まれ、横浜港駅がありました。 |
高度成長の中で拡張を続ける 第2次大戦が終了すると、横浜港の施設の多くが米軍に接収されました。それらは徐々に返還され、昭和30年代になると、日本の海の玄関口としての華やかさが戻りました。 右は昭和30年代中頃のものと思われる、横浜港大桟橋の見学案内です。 外国航路の客船や貨物船が頻繁に発着する様子は、海外旅行が一般的でなかった時代の日本人にとって、独特の憧れであったに違いありません。 下はその案内より、港内の略図です。点線は、遊覧船のコースを表しています。 現在、「みなとみらい21」として開発された場所も、当時はまだ三菱造船の造船所でした。 |
横浜大桟橋見学上の諸注意(案内より)
日本の戦前の客船は、ほとんど全てが戦没してしまいました。その中で日本郵船「氷川丸」だけは、奇跡的に横浜〜シアトル航路に復帰することができました。右は、1957年(昭32)に発行された航路案内です。 テープに彩られた、定期客船の華やかな出港風景はもはや過去のものとなりましたが、その時代の証人として、「氷川丸」は今も横浜港にその姿を映しています。 |