旅のメニュー(その4)
−日本の美−


 メニューカードの中でも、戦前の船会社が乗客に配布したものは、最も美しいものの一つではないでしょうか? 多くは、そこに航路沿いの風物、船会社の所在国の名所や芸術作品が使われていました。

 日本の会社も例外ではありません。国際航路を多数運航していた日本郵船と大阪商船を中心に、数々の色彩鮮やかなメニューカードが遺されました。

 そこには大抵、日付と船名が記され、ときには船長の名前が入っていることもありました。そうした記述は、たしかにその日、そのメニューが旅人ともに波路を越えていたという事実を、リアルに語りかけます。


Osaka Shosen Kaisha - 大阪商船 / 1938年(昭13)
 右は、昭和13年(1938年)2月20日の、大阪商船・神戸−基隆(台湾)線「高砂丸」の晩餐メニュー。出帆スケジュール表によると、この日は正午に神戸を出港した日でした。おそらく、瀬戸内海を航行中の晩餐ではないでしょうか?

 デザインは野に遊ぶ平安貴族を描いています。別のメニューには清水寺の紅葉を描いたものがあるので、関西系の大阪商船は、京都近辺の風物のデザインを好んだのかもしれません。
 
 
Nihon Yusen Kaisha - 日本郵船 / 1937年(昭12)
   こちらは、日本郵船の横浜−シアトル線の「氷川丸」の晩餐メニュー。1937年(昭12)10月4日となっています。

 デザインは浅草観音の雪景色です。二つ折で、もう片方には航路図とメッセージ欄があり、便箋代わりに使って投函できるようになっていました。

 カードには、「午前2時に時刻が40分戻ります」との注記があります。長距離航海は、こうして時差を調整する必要があるのです。(この場合、アメリカから日本への帰りのようです。)
 では当時のメニューの中身を左に紹介しましょう。昭和14年(1939年)4月16日の、日本郵船「鎌倉丸」のものです。当時のスケジュール表によると、上海発横浜経由ロサンゼルス行きの航海で、この日は寄港地のホノルル出港後2日目のようです。(デザートの"サンキストオレンヂ"は、ホノルルで積み込んだもの?)

 これは日本語版ですが、右半分には同じことが英語で書かれていました。ちなみに表紙は、着付け中の花嫁が、日本画で描かれています。

 メニューはフルコース。前菜からデザートまで、あらゆる料理が出てきたようです。ステーキは注文を受けて焼くためか、「5分から10分お待ちください」となっています。

 目をひくのが、「(特別料理)やきそば」です。これは日本食という名目で、出されているようです。上の「氷川丸」のメニューでは、「しじみ汁」と「柳川鍋」が日本食として出ています。
 

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