絵葉書で体験する戦前の穴守稲荷参拝


 1938年(昭13)発行の全国旅行ガイド「旅程と費用概算」(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)には、「羽田」がこんな風に紹介されています。

『蒲田區羽田穴守町。京濱電車穴守終點下車。品川から直通電車運轉、所要二五分、賃片道二四銭。蒲田から七分、一一銭。
豊宇氣比賣命を祀る稲荷神社があり、穴守神社とも云ふ。四時参詣者多く、午の日には殊に賑はふ。祠を去る五十米許りの海濱は風光よく、海は遠浅で潮干狩及び海水浴に適し附近に東京飛行場がある。また穴守神社後の近くには東京附近に珍らしい鵜の群棲林がある。』


 これから、戦前の穴守稲荷神社への参拝に出かけましょう。今は東京国際空港となって一変してしまいましたが、かつて販売されていた参拝記念絵葉書に残された風景から昔の面影を偲びながら。
(注1)ここに紹介した絵葉書は、必ずしも同一年代のものとは限りません。
(注2)解説者は実際に当時の様子を知っているわけではないので、描写には不正確な部分があるかもしれません。

「羽田穴守 稲荷橋」
稲荷橋

 京浜電車(今日の京浜急行電鉄)終点の穴守駅まで行っても良いのですが、今日は一駅手前の稲荷橋で下車しましょう。
 そこからすぐ海老取川に突き当たると、善男善女がそぞろ歩く稲荷橋が見えてきました。たもとには店の屋号が入った灯明が立ち並び、華やかな雰囲気です。

 稲荷のある対岸には、大きな広告板がこちらに向けて掲げられています。半世紀後は、逆にこちら岸から向こうの空港に向け、看板が林立することになるのですが・・・。
奉納鳥居の列

 お稲荷さんといえば鳥居。参道の隣にも、奉納された鳥居がびっしりと列をつくっていました。絵葉書がカラーでないのが残念ですが、きっと朱色に染まったトンネルのように見えたことでしょう。

 稲荷橋から穴守駅までは約700メートル。ぶらぶら歩くには丁度いい距離です。現在は空港施設内を横切るようなコースのため、残念ながら歩くことはできません。

「羽田穴守稲荷 奉納鳥居」

「羽田穴守稲荷御本社前通」
参道その1

 穴守駅の前からは、参道も一層賑やかさを増します。巨大な鳥居と献灯がすきま無く林立し、沿道には料亭や土産物屋が軒を連ねていました。

 夏の夕、照りつける日差しの下に日傘が群れ、下駄や草履の音が参道にこだましています。もう間もなく、日が暮れると献灯に灯がともり、穴守の街は宵の表情を見せ始めるのでしょう。
参道その2

 いよいよ鳥居の向こうに本殿の屋根が見えてきました。
 沿道の店には「献灯」という看板が出ており、奉納用の灯明や小型の鳥居を売っているようです。

 なお、本編で紹介した「羽根田穴守神社」と題された手彩色の絵葉書は、写っている鳥居から推定すると、この位置の少し先で撮られたもののようです。

「羽田穴守稲荷御本社前通」

「羽田穴守稲荷 御本社」

「羽田穴守ノ築山」
本殿と築山

 ようやく本殿に到着しました。松林を渡る海風が、汗の浮かぶ顔を心地よく撫でます。
 本殿の斜め後ろには築山がありました。いわばミニ富士山で、ここに登って富士詣の擬似体験をしたようです。戦前の地形図によると、標高9.7メートルとのこと。

「羽田穴守 遊園地」
庭園

 参拝後は、海沿いの一角にある、池やあずま屋を配した庭園で休憩。

 他に、穴守付近には海水浴場やグラウンドがあり、信仰の場としてだけではなく、都会の人々のレクリエーションの場としても知られていました。さしずめ、今日の「お台場」のような、ウオーターフロント開発の先駆けだったのかもしれません。
羽田沖

 目の前には江戸前の海が広がっています。帆掛け舟が行き交う向こうは丹沢の山々でしょうか?
 周りに聞こえるのは波と風の音ばかり。ジェット機の騒音も、工場からの煤煙も無縁の風景でした。

 さてと、帰りは京浜電車に最寄の穴守駅から乗ろうか・・・。

「東京湾羽田沖」

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